脳梗塞からの復帰

入院9日目 血液を溶かす点滴の終了

病室に行くと、CTの検査の結果をこれから説明するということで、 ちょっと待っててな、と父を置いて母、叔母と一緒に、担当医から話を聞く。

血栓を溶かす薬はこれで終わるとのこと。 この休日を乗り越えたら、一応峠は越したということになる。

休日を過ぎれば大丈夫ですか?と母が聞くと、「まぁそう言われると保障はできませんけど、今の所血管が破れたら怖いです。休日を開けたら今回の分は収まったということですね。その後にまた発症する可能性があります。あと頭にむくみがありますから、それを元に戻す処置をするかもしれません。来週からリハビリになると思います。言語のリハビリはまだ無理なので、腕ですね、腕のリハビリからすることになりますね。

あとは今の所予定しているリハビリの病院を二つ教えて貰った。その内の一つは引っ越し先の家からすぐの所にある。

病室に戻る。ふたりは帰り、いつものように僕と父のふたり。父が手を挙げて窓を開けろと言うようなジェスチャーをする。僕が窓を開けて振り返ると、違う違うというように首を振る。

新聞?
違う!
うちわ?
違う違う!
脱脂綿?喉乾いてるの?
違う!違う!違う!!!
窓のブラインド?
ブラインドをひこうとするが、うまく引っ張れない。

父が「何をやっとるんや鈍くさいなあお前わあ!お前が長男やのにしっかりせえよ!!」とでも言いたげに、ベッドから起きあがろうとした。
「そうなんやな!そうなんやな!」
しまいには唇を噛んで怒りの形相。子供の頃の怒った父を思い出して恐怖した。殴ろうとする時の父の顔だ。優しい父から一変して恐怖の父へと変貌。怒りにまかせて動く方の足を曲げ、今にもこっちに飛びかかろうとする。

こっち来いこっち来いと手を振る。顔を近づけて手を握ると殴る代わりに物凄く力を込めて握りしめる、というよりも圧搾しようとする。ちぎれそうだ。

「何?どこか痛いの?」
いいや違う!違う!と首を横に振る。
「看護婦さん(呼んで欲しいの)?」
「はい」と他のベッドにいる看護婦が返事する。
「看護婦さん?」
また「ハイ」と看護婦さんが返事した。
「何でもないです。大丈夫です」
父が起きあがろうと顔を近づける。
「何?何かの手続き?」
(いいや違う違う違う違う!!!)

僕の両手首を握って、浴衣のはだけた右胸に僕の両拳を当てて「そうなんやな!そうなんやな!」と目を真っ赤にして繰り返す。

僕が答えに窮していると、父は苛立ちの溜息をついて、諦めたのか首を横にしてベッドに横になった。こういう風に接せられると胃にこたえる。

手を握ろうとしたが、払いのけられた。しばらく黙って椅子に座っている。ああ、家に帰ってきたらこんな事が繰り返されるんだろうかと思うと、胸がどーんと重くなった。

正直、いっそこのまま死んでしまえば(僕が)楽になるのにとか思った。少し気分が落ち着いてから、父が何を訴えたかったのかを色々と考えている内に、暮れかけた窓の外を見ると、父が指さしていた方角に「○○生命」の赤い文字が目に飛び込んできた。保険会社のビルの直方体の看板だ。

「せいめい」を訓読みすると「いのち」

もう俺は死ぬんやな?あかんねんな?ガンなんやな? と言いたかったのだろうかと思いついたが、 確認するとまた思い出して怒り狂いそうなので、黙っておいた。ベッドから起きあがろうとする父は今にも僕に殴りかかってきそうだった。

ちょっと今日は精神的に疲れていた。病院についてもぼーっとした感じだった。父といるときも、あまり話しかけなかったり、深刻な顔をしたりベッドの柄に俯せになっていたりした。それを見た父が、医師から何か重大な宣告をされたのではないかと心配したのかもしれない。それで「そうなんやな?!」と濡れた真っ赤な目で聞き出そうとしたのかもしれない。

「今日ちょっとしんどいねん」と愚痴をこぼすと、自分がか?と言うように僕の顔を指さした。うん、昨日寝るの遅くて眠いし。でもパパの方がシンドイか、と聞くと、父はベッドの柄に手首を乗せてぐるぐるさせた。

よく分からないのでシンドイの?ともう一度確認しようと聞くと首を横に振った。 「元気なんや」 うん、と頷いた。機嫌が直ったみたいだ。しんどそうな顔をしていた理由を話すことで、父を安心させ誤解を解こうとしたのだったが、 うまくいったかどうかは分からないが、機嫌が直ったのだから良しとしよう。

帰る時はまたいつものようにバイバイした。父はちゃんと手を挙げていた。横には振れない。僕はパンと父の手のひらを手のひらで叩く。 カーテンを閉めて、と手で仕草するので、カーテンを閉めた。名残惜しくて、もう一度カーテンから顔を突き出し、バイバイ、と言って手を振る。

父はうんうん、と頷いて手を挙げる。