脳梗塞からの復帰

入院8日目 新聞を読む

病室に行く。父は寝ている。しばらく黙ったままでいるとうっすらと目を開けた。
「おはよう」と言う。父は頷く。
新聞を持ってきたので、阪神タイガースの記事を読み聞かせる。5連敗から抜け出したという記事。

最初に、悪夢の5連敗から抜け出した、と読んだところで、父が悲壮感を顔に表した。悪夢、という言葉に反応したのかもしれない。脳梗塞になって右半身が麻痺したという事実は本人にしてみれば悪夢だろう。記事の最後の方にも「悪夢」という言葉が出てきたので、その一文だけは読み飛ばす。

読み終わって机の上に新聞を置くと、(読ませ)と手を差し出した。脳に負担を与えないだろうかと不安になったが、断り切れないので渡した。いつもと変わらない、真剣な眼差しで読んでいる。スポーツ欄だけでなく、一面の社説から、経済面、社会面まで片手で器用に新聞を持ちながらまんべんなく読んでいる。

新聞を読み終わるとやたら点滴のチューブをさわったり、歯車の着いているプラスティックの部分を自分で調節しようとしてたので、あかんて、と制止しようとするが、「チッ」と苛立たしそうに舌打ちして、僕の手を払いのけた。仕方なくやりたいようにさせておく。チューブを流れる薬の量が速くなったような。不安になったので元に戻すとまた父が歯車を回して勝手に調節してしまう。


看護師の人が来て、体を起こしてみようかという話になった。看護師が体を起こす。じゃあ横に座って肩支えてついてあげてくださいね、と言い看護師は去っていく。

肩を並べて病院の窓の外の景色を眺める。
「いい景色やなぁ」と言うと、無言で頷く。

看護士が戻ってきたので、点滴について聞いてみた。
「この点滴のくるくる回る奴は何ですか?」
「エー、これは血液の循環を良くしてる薬なんですよ。エーそれで3時間点滴が入るようにこれで調節してるんです」
「じゃあ勝手に動かしたらダメですよね」
「そうですねぇ」
看護師は真剣な眼差しでハキハキと答える。


「ごはんですよ~」と茶髪の可愛い顔をした看護婦が父のベッドに美味しそうな食事の載ったトレイを持ってくる。
妙な沈黙が流れる。
「え?」
「あ!間違えました間違えました!ここは○○さんのベッドでしたね!」

午後1時に叔母が到着。
「脱脂綿で口の中掃除しておいたよ」
「ああ、やったん?喉乾いてるんやろうけどしょうがないよなぁ」
と言って悲しそうに父の顔をのぞき込む。
「飲ませられへんからなぁ」
「うん、今は水飲ませたら危ないから」
喉を手で掻きむしるような仕草をする。

最後はバイバイして別れた。
ちゃんと手を挙げることが出来る。