脳梗塞からの復帰

入院6日目 言葉は回復せず

4時半に病院へ。
点滴の位置が変わってる。動く左腕から動かない右腕になった。

「今日はバス?」と付き添っていた叔母に聞かれた。
「いや、電車」
「あ、そうなん。阪神電車できたん?」と叔母が言うと、
「はんしんでんしゃ」とかすれた声で父が言った。
「そう、阪神電車よ」と叔母。
「ここは県立N病院。N駅のすぐ近くやん。ここからお兄ちゃんが勤めてた会社の電波塔が見えるよ」

退職も控えた今年の2月に有休を取ってから、右足が痛み出した。父が使っていたノートパソコンを見ると、健康食品とか、動脈硬化とかのページをブックマークに入れている。気になって仕方なかったみたいだ。京都大学の治験にもメールで問い合わせていた。そこには、僅かではあるが、普段は表に出さない父の不安が書き綴られていた。胃を全摘手術してるから、治験は見合わせることにしたというメールも残っていた。3月頃から酒を飲まなくなった。テーブルの上にある、知人のパソコンを修理したお礼に貰っていたウイスキーがすっかり減らなくなった。

グー、チョキー、パーをさせた。いち、に、さん、し、ご、と言うと、ピン!ピン!と手際よくしてくれた。
「親指立ててみて。ほら、こんな風に」
僕がお手本を見せると父は真似てしてくれる。隣では、ノンタンの絵本を読み聞かせている女性の声が聞こえてくる。

もう一度グーチョキをさせようとすると、父は無関心そうにそっぽを向いてしまう。しんどい?と聞くと、うん、うんと声に出さずに頷く。

背中をさすっていると、しばらくしてから仰向けになって、
「あのな・・・」という感じで人差し指を突き出し、
「そー、そー」と口にする。
「そろそろ?」と聞くと、違う、と首を横に振る。

分からないので、そー、そー、と真似て言う。たぶん引っ越しに関する住所変更などの手続きのことを言いたいのだと思う。
「そんなのは気にしなくていいから、ゆっくり休んで」

また寝返りを打ったので、背中をさする。またしばらくすると同じように人差し指を立て、そーー、そーー、としゃがれた声で言う。僕は同じ言葉と慰めを繰り返す。