脳梗塞からの復帰

入院3日目 錯乱状態

「あしたやのにぃ!あしたやのにぃ!」
昼の二時、病室に入ったら、父が苦しそうにそう呻いていた。
「何が明日やの?そうそう、あしたね、あした」
側にいた母が慰めるように言う。
「はぁあああ!あしたやのにぃ!あしたやのにぃ!」
父は、違うんや違うんやホンマ分かってへんなあ!お前わ! とでも言うように歯を噛み締め、顔を思いっきりしかめた。

「さっきからこの調子なのよ。1時40分に目が覚めてこの調子」
側の机の上に昨日置いたままだったレポート帳にはマジックで文字が書き込まれていた。よく見ると母がお見舞いに来る人用に書いたものだった。
「あ゛あ゛あ゛ぁ゛っ!あしたやのにぃ!あしたやのにぃ!」
「あしたね、分かった。分かった。あしたやね。全部やっとくよ」

父の手が母との手とガムシャラに絡まり合う。こんな風に必死に訴えかけようとして手を伸ばしている父を見るのは初めてだ。まるでキリスト教の受難者ヨブの宗教画みたいに。受難者なんて言葉、脳梗塞を発症する前の父とは正反対の概念だ。

机を手で叩いて引き出しを開けようとしたそうだ。あしたやのにぃ!明日やのにぃを繰り返した。母が机にある物を色々手で持って「これ?」とかやったそうだ。

「机の引き出し開けようとするのよ。中には湯飲みとか歯ブラシとかしか入ってないでしょ?そんなのしょうがないでしょ?それでレポート帳を持って「書類?」って訊いたら、うん、って頷いて。それでね、私のバッグの中から運転免許証とかを取り出したりしてたら、安心してるの。たぶん色んな事がごっちゃになって頭が混乱してるのよ」

レポート帳に注意書きが書いてある。筆談は神経に負担をかけるのでやらない方が良い。体や頭は動かしていたも大丈夫。 声かけをしてやってください。名前を呼んだり、今朝ですよ、今お昼ですよ、という具合に。

病室に戻ると、また明日やのにぃを繰り返した。
「何やろ」
「光ケーブルのことかな。工事」
「インターネットのことか?」
母がそう聞くと父は首を振って
「明日やのにぃ!明日やのにぃ!」
「明日やね、明日。分かった!分かったよ!明日ね」
母は必死になって、慰めようとして言う。でもそれが逆効果になっている。母がそう慰めれば慰めるほど父は「はあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」と失望と怒りの入り交じった溜息をついて眉間に皺を寄せる。

交代で付き添うことに。
「パパ」と呼びかける。
自分を指さして名前を言う。
「分かる?」
と言うと、父はうん、と頷く。
次に父を指さして父の名前を言う。
父はしばらく呆気にとられたような表情をしていた。

パパ、と呼びかけたが返事がない。今日はもう何度も「パパ」と呼んでいるからめんどくさそうだ。看護婦さんが来て、強い口調で二言三言何か言って、こっちの脇で熱を測らせてね、と言うと、ちゃんと脇をあげる。あと、指のリハビリみたいな事もしてくれた。ウサギの形に指を作ったり。父は冷静に指を作る。

後で僕は父の前でピースして見せた。これ出来る?という具合に。父は二本の指を接着剤でくっつけたようにピースして見せた。

目はしっかり見開くようになったが、時々目をつぶる時や薄めになる時は目が上に剥く。それもちょっと心配だ。

6時に、じゃあまた来るね、と父と握手して帰った。 その時だけ、父は、うん、うんと頷く。