脳梗塞からの復帰

入院2日目 梗塞が膨らむ

午後の二時に病院へ。夏のように暑い。

父はしきりに点滴のビニール袋を気にして、点滴の方を見上げたり、点滴のチューブを指でゆっくりとさすったりする。感傷的な人間ではないのに、感傷的な仕草で撫でるようにチューブをさする。昔、家に遊びに来た女の子が父のことを心配していたと話したら、うん、うんとはっきりと返事をして、ささやかに笑った。

寝返りを打ったりする。時々苦しそうに顔をゆがめる。あくびもする。いびきもかく。寝ていたのかと思うと、目を開ける。前よりもはっきりと開けている気がする。朝起きた時みたいに。看護婦が何度か点滴を取り替えに来る。

今日は自力で起きあがろうとした。右半分が動かないから左の脚を曲げて上体を起こしてベッドから起きあがろうとしていた。 これを見てかなり状態が良くなっているみたいに思えた。でも起きあがるのは無理みたいで、諦めて寝返りを打った。今日はベッドの横の柵にクッションが備えられていた。そのクッションに動く方の腕を乗せて横になっている。

暑そうに足で布団を払ったので、筆談用にと持ってきたレポート用紙で父の足や背中を仰いだ。しばらくそうやっていたけれど、また寝返りを打ってこっちを向くと、父が手を払う仕草をしたので止めた。

何かうめいた。え?と僕は顔を近づけて聞いた。
「はよ家帰っとき」
弱々しい、しゃがれた声で父は言った。
喋れるようになった事に驚く。
「話せるようになったやん」
そういうと父は「うん」と言って頷いた。
また父は小さく「帰り」と言ったように聞こえた。

昨日と同じように、父の手を握る。
「また明日来るわ」
父は軽く頷く。手を握る力は昨日より弱い。

家に帰ってから、医師から受けた説明を母に聞かされる。 今日、CTスキャンで脳を撮った。 脳の中心に梗塞が広がっている。 これ以上梗塞が広がると、他の症状が出てくる可能性がある。 呼吸が困難になって、鼻にチューブを入れなければならなくなるかもしれない。 1週間が山らしい。はっきりとは分からないけど、医師は最悪のことを言うから 「会わせたい人には会わせておいた方がいい」と言ったのだろう。 1週間が過ぎればどうなるか分かる。ただ、良い方向に向かっても後遺症は残る。 今は重度の脳梗塞の状態とのこと。 さっきまで「もう大丈夫、良い方向に向かっている」と思っていたから、これを聞いてすっかり落ち込んでしまった。

最初に搬送されたA病院で撮った脳の写真と、N病院で撮った写真を比べると、梗塞が少し膨らんでるそうだ。この梗塞が脳を圧迫しているという。今後膨らむ可能性がある。今はそれを点滴で抑えているのだそうだ。血栓を溶かす為のカテーテルは入れられないらしい。首の動脈が固まってて、そこにカテーテルを入れると破裂する危険があるから入れられないとの事だった。だから今は梗塞の圧迫を抑える薬を入れるしかない。最善の処置はしてくれている。

でも、昨日会ったときよりも、父は良くなっているように見えた。少しだけだけれど言葉も普通の風邪の病人程度に話せた。それに昨日よりも目がはっきりと見開いていた。自分で起きあがろうともした。

会わせたい人に会わせといた方がいいというのは、たぶんどうなるか分からないから、そう言ったのだと思う。最悪の場合、死んでしまうことも考えられるからだ。脳梗塞は死亡率が高いし、万が一のことを考えて一応言っておかなければならないからそう言ったのだろう。

やっぱりどうなるか分からない。ここ1週間が山だ。ゴールデンウィークが開けたらもう一度CTスキャンを撮って、次の段階の治療に進むそうだ。